SHIMAバル

最終日、気の合う仲間でSHIMAバルしました(*⌒▽⌒*)

楽しかったですよぉ♪

本当に久しぶりに夜遊びしたので疲れましたけれど…。

寄る年波には勝てませんな(笑)

独身の頃は、仕事後に遊びに行って、少し寝て仕事に行くの繰り返しだったのに…バブルと呼ばれる世代です。ワンレンボディコンが流行っていた。ちなみに私はアシンメトリーと呼ばれる髪形をして、真っ黒なコーディネートが好きで青紫の口紅を塗っていたような気がする(笑)

ま、そんな事は誰も興味ないですよね(@_@)失礼しました。

話がそれましたが…またまた、7月にLANGOLINOの須永シェフが来てくれるみたいですよ!楽しみですね(*⌒▽⌒*)

しかし!柏屋カフェもどうぞ忘れずご贔屓にm(_ _)m

四万が大好きな須永シェフに乾杯!感謝

山の暮らしは忙しい

山椒の実を収穫しました。

下ごしらえをしています。

早速、ぬか床に入れなければ!

山椒のおこわもこしらえよう( ´艸`)

あと、数日でジューンベリーを収穫してジャムをこしらえなければ!

今年はブルーベリーもたくさん実っている(´ー`)

あーあ、花山椒の佃煮がおいしかったな…もう、無くなってしまったけれど笑

昔は旅館で、蕨やらゼンマイやら山椒やらふきやら全部、義母と義父でこしらえて、お客様にお出ししていた。大変な量だったであろう…。今は、余り口にすることさえないし、若い頃は私も好まなかった。

旅館で出す鯉料理も食べられないし、今でも食べない。

なにしろ、年輩者にならないと時間も無いしね…根気もないしね(笑)

こんなことしていたら…1日がすぐに終わってしまう…本当はそれで良いのかもしれない。

自然界から自分たちで食べるものを収穫して食べる。基本はそういう事だった訳だから。

現代人の仕事は、果たして生きていく為なのだろうか?過労死するほど、何を目的に仕事をするのだろうか?

山の物をこしらえていると必ずそんな事を考えてしまう。

まあ、考えても仕方ないから、美味しい食事をつくろう(●^o^●)

やっぱり、実母に似ているんだな…食いしん坊なところが(怖)

どこでも憎まれ役の私

青森で勤務している娘が、長期休暇を頂いて帰郷している。

彼女は、富岡の私の親が大好きなので、実家に一泊してきた。

私の母は、なにしろ1日中食事の事を考えている(@_@)

朝ご飯を食べているときに、「昼ご飯は何にしようかね?」と聞いてくる。ご飯を食べ終わってすぐに「○○食べるかい?」と聞いてくる。なにしろ、作って食べるの繰り返し…。昔からこうだ(笑)

「太ってしょうがないよ!」「要らないよ!」「そんなに食べられる訳ないだろ!」私はそれを繰り返す。

「お婆ちゃんの料理が一番美味しい。」なんて娘は言うけど…。もっと野菜中心にしないと駄目だよ!カロリーが高いものは美味しいに決まっているだろう!メンチカツやらワンタンやら!お母さんの作るものは美味しいけど健康に良くないでしょ!!「あーもういらんて!」

父親は81歳になった今でも大酒飲みだから…「ちょっと!今日どれだけ呑んどるんじゃ!もうよしときぃ!」と小言を言うと「薫はうるさい。」と、のたまう。

「でもさ、お爺ちゃんは、二日酔いになった事ないし、お酒くさい事もないよねぇ。」と娘はすかさずフォローして「理香子は可愛いね~。」と、父が調子にのりおる( -_-)o

娘の運転で神津牧場に行って来たけれどもソフトクリーム目的の私達と違って父はソフトクリームは食さないから…しょうがない、ビールとチーズを買い与えてしまう私。

上機嫌でそれを呑み、「このチーズ旨いねぇ。」と嬉しそうにしていたと思ったら行方不明…大樹の下にチンマリとコロボックルのように座っている。

まぁ、好きにしたらいいさ…人生ここまで来たら(笑)

だけれどね、私はいつまでも注意するからね!他に怒ってくれる人いないでしょう(笑)

 

グラッパ

そういえば…昔、グラッパを置いて欲しいと言うお客様もいたな(゚ロ゚)

グラッパは、ワインの絞りかすから造られるらしいけれども…。

ジンの銘柄はタンカレイ。

柏屋旅館と柏屋カフェ、たてしな薫風を手がけてくださった方のご指名だった。

私なんかは余りお酒に詳しくないから、わしの屋さんにお願いして探して貰ったりして…。

バーテンダーにも憧れていたから、いろんな書物も読んで勉強したけれども全部忘れてしまいました(x_x)

シェイカーをカッコ良く振れたなら、どんなにか気持ち良かっただろうか…。

恥ずかしがり屋の私には到底無理な職業だよね(・ω・)

あーあ。次に生まれ変わったらなりたい職業いっぱいだ(笑)やりたいことも、なりたい自分もいっぱいだ…。

今の自分を精一杯生きるのが先だけれどね(^_-)

 

 

 

あれから17年

声も戻ってきて、恒例の家族旅行に出かけられています。やはり家族といるときが一番幸せだ。

柏屋カフェでは、なにやら面白い事が始まったみたいです( ´艸`)

四万温泉の皆さまも、是非とも夜の社交場としてSHIMAバルに出掛けてみてはいかがでしょうか?もちろん、観光客の皆さまにもオススメですよ♪

柏屋カフェの開店当時を知っておられる方々には、懐かしく感じられることかと思います。

柏屋カフェを始めてから、17年になるのですね…感慨深いな~

開店して2年程は、10:00~22:00の営業時間でした。

「鹿肉のカルパッチョ」や、ナンプラーをきかせた「エビガーリック」、「納豆ピッツァ」や「自家製ピクルス」「ポテトグラタン」などが人気だった。

日替わりランチも土日問わず出していたし、海の幸のトマトソーススパゲッティや夏は達三さん(先代社長)の畑で取れた野菜で作ったサラダスパゲッティが人気だった。畑まで収穫しに行って猪に追いかけられたっけ(笑)

達三さんにルッコラとバジルの栽培を頼んだんだっけ。あの頃は種を入手するのが困難だった。アーティチョークはダメだった。ディールは凄く大きくなってしまった(笑)どんどん思い出してきたぞ!

デザートはパンナコッタやマンゴープリンのタピオカ添えなどもラインナップ。ネットで食材を探して創作研究することが何よりも楽しかったし、パーティーのコーディネートも徹夜で考えて…ある意味クレイジーな働き方だった36才の私(笑)

ランゴリーノの須永シェフに「頭と身体を休ませないと良い仕事はできないよ!」なんて偉そうに言っているけれど(笑)

イタリアのワインも取り揃えてあったし、「四万の清流」というオリジナルカクテルもあった。カルバドスが好きな常連さんもいたし、ホワイトローゼスをキープする方や、お気に入りのジンをキープしている方もいらっしゃって…あの頃は粋な方が結構いらっしゃいましたね(^-^)

1日の大半は柏屋カフェで調理接客していたから、きつかった(×_×)けれど…想えば楽しかったな。料理もインテリアコーディネートもマネジメントも、メニューも全部手書きで制作していたんだ。仕事のことを考えるとワクワクして眠れないくらいだった!

そう!好きなこと、楽しいことだったから辛くても出来たんだ…。

私も、客としてあの頃にタイムスリップしてみようかな(´ー`)

SHIMAバルに行きたい!

おすすめの逸品

久しぶりに、美味しい物を見つけました( ´艸`( ´艸`)

道の駅あがつま峡の(てんぐ)という売店のレジの横に少しだけ置いてあったパン。

今度、お友達に持って行ってあげたいけれど…少し遠いな~

川原湯温泉の近くですから機会があればよって探してみてください。

150円だったかしら!?

ビジュアルも可愛いし、なにしろ美味しいの(~o~)

おすすめです!

長年の夢

こんな恐ろしい風邪を、誰かに移したら大変なので、ここ数日、外部との接触を断っていた。家族にも移したら可哀想なので慣れないマスクをかけていたから耳が痛い…。

しかしながら、今日は息子を送迎するために車で久しぶりの外出。

するとどうだろう、家から道に出たとたん欧米人のカップルが大きいスーツケースを手にこちらを見ている。

ブロンドの美女がジョグしている、オープンにしたスポーツカーに乗るイタリア系の美男子二人組が颯爽と美しい緑の四万温泉を駆け抜ける!

洒落た外国人ロードバイカー?が洒落た自転車でソコココに…

外国のリゾートに居るような気持ちになりました。

ここはどこ?四万だよね(@_@)

私は四万人だよね。

エロイカジャパンなる自転車の祭典が開催されているとは聞いていたが…。

思いのほか、四万温泉の美しさにピッタリはまっておりました(^_^)ノ

世界的なリゾート地になり得るとは移り住んだ時に思っていたけれど…。様々な困難にみまわれて目標も見失っていた。

四万温泉は変わっていないけれど、四万温泉の良さがやっと、外国の人たちにも知られてきたかな?

[変わらず流行らず、世界の人々を癒やす小さなリゾート地になって欲しい]

ずーっと、願い続けています(´ー`)

若いっていいね

声がまったくでません。朝晩の咳き込みでみぞおちと腰、背中が痛いです。

今回の風邪は重症です。どうしたのだろうか?

さて、町報を見ていたら家の旅館の子が二人も載っているではありませんか!

おお!なんと爽やかな二人なのでしょうか。こんなナイスガイが柏屋旅館で働いてくれているなんて…今更ながら驚きました。

息子と同年代なので子供にしか見てなかったけれど(笑)

「可愛い子には旅をさせろ!」と、ことわざにあるように、様々な挑戦をして欲しいです。

スパトレイルは6月23日です。皆さま、応援よろしくです(^_-)

それにひきかえ、毎日トレーニングしていたのに、こんなに身体が弱くなっていたとは…トホホ(この表現も最近聞かないけれどネ)

「年をとったら無理するな。」ですかね。

若いっていいよね~

 

とうとう

声がでません。

へき地診療所へ行ってきました。看護婦さんが「あら、薫子さん!珍しいですね。」そう、病院嫌いの私は夫や子供達の付き添いの他にめったに行くことはないからだ。

しかしながら、喋れない程であっては行かざるをえまい。

中之条まで薬を買いに行くならば、徒歩5分程のへき地診療所に行った方が早いだろう。

しかし、症状も説明できないから書くしかない。たくさんの薬を貰った…(×_×)

それにしても、こうなると、いかに自分が恵まれていたかに気がつかされる。耳が聞こえ、目が見え、口がきけて…衰えてはきたが…当たり前の事ではないのだ。

様々な障害を抱えている方々が、いかに凄いかということを思い、尊敬の念でいっぱいになる。

私なんか、喉が痛い事を忘れて、いつもの通り、目に入った〔唐辛子せんべい〕をうっかり口に入れて「ひー!」(≧Д≦)となっておる愚か者なのだから…。

蛭はいなかった…

水晶山登山道整備の準備に、鎌を研ぎ、芽きりバサミと蛭退治の塩、瓶、箸をリュックに入れた。水筒に水を入れたが、なんだか水がもれて、出発前からリュックの中がびっしょりになっていた。

帽子、サングラス、マスク、長袖、アーミー柄のパンツに長靴を装着。ああ、どこまでしたら完璧なのだろうか…。

喉が痛いので薬を飲み、ヴィックスベポラップを塗りたくり、首には日焼け止め。集合場所に着いたら誰かが長靴に蛭除けスプレー(ヤマビルファイター)をかけてくれた。虫除けスプレーも…。この時点でもう疲れていた。

いつになったら始まるのか?

作業が始まった。鎌の出番はない。あ、芽きりバサミの出番はあった。蛭はいない。連日の猛暑で乾いてしまったのか?いったい、この重装備は何だったのか?

頂上まで初めて登った。

四万温泉が見えた。素晴らしい眺め。

四万温泉の様々な登山道や遊歩道を整備して、お客様に楽しい四万時間を過ごして欲しいな~とそんな気持ちでみんな頑張っているんだな。男性陣はチェーンソーやブロワーを担いでいるし(゚ロ゚)すごいな!感謝です。

帰り道、車の上に鎌とお弁当の残りをのせ、車のキーを長時間探した末、それを乗せたまま発進してしまい、お弁当が落下した地点で気がついた私。鎌はまだ乗っかっていた。

焼きが回ったものだ。

なにしろ、蛭はいなかった。