柏屋にゃんこ久留米絣バージョンの端切れを買って来ました(. ❛ ᴗ ❛.)

なんだか暗い色ばかりになってしまっていたので少し柄物や色物をたしたかったのですが…アソートなのでとっても迷ってしまいました╮(╯_╰)╭
細かい布を縫い合わせて作っていくのも面白いのだけれど…結構頭を使います(笑)
可愛いのが出来れば良いニャアฅ^•ﻌ•^ฅ
今朝、義母の畑が猿に荒らされた。

義母の留守中に何故?
気づいて、追い払ったが私も番人ではないので¯\_ಠ_ಠ_/¯お許しを…。
四万温泉で畑をやること自体リスクが大きい事なので…本心を言わせてもらえば、もう私はクタクタです。
義母に貰った里芋と大根の土を、やっと洗い終えました。

本当に農家さんはたいへんだと思います。綺麗になった野菜がスーパーでは安価で売られているのですから…。
私なんか、砂を落とす手間暇でもそれくらいの値段欲しいくらいなんだからತ_ತ
丁寧に暮らす事は、贅沢なことになってしまいましたね。
でも、「稼がなきゃ!稼がなきゃ!」「仕事、仕事!」と何に追い立てられていたのだろうか?
本当に大切な事が、もしかしたらあったのかもしれないな…。
自由奔放な義母を見ていて思うのです(笑)
【人生の最後に成りたい自分になる】という目的を持っているけれど…何時が最後になるかは、今のところ予測不能だಠ_ಠ
とすれば、目的地はその都度変わる。
思いがけず早く着く事もあれば、たどり着かない事もある。
今、10年区切りで6回目の船旅の半分まで来たが、もしかしたら最後の旅になるかもしれないし…意に沿わずまだ中間地点なのかもしれないಠಿ_ಠ
何れにしろ、到達したら別の目的地を探すか、留まっているかは自分の勝手だ(笑)
別に後戻りしたって構わない。そんな事もあるだろう。
成りたい自分は段々と変わって来た。
若い頃は、人からどう見られたいかが基準だった。
今は、自分がどう成りたいかが基準になった。
「取舵いっぱい!」というところか…。
(「`・ω・)「
最近なぜだか子供の頃の自分を思い出す。
実はつらい思い出ばかりだ。
きっと良い事もあったのだろうが、不思議と辛く嫌な思い出ほど覚えているものだ。
そんな私は、子供の頃から「なぜ生きるのだろうか?」という疑問を持っていた。
最近になって自分なりの答えが出た。
「理由はない。意味もない。」
でも、どう生きるかは、ある程度きめられる。
生まれて来る時は私の意志では無かったし、生まれて来た環境も私の場合は決められなかった。
子供の頃は「どう生きるか」など考えたことも無いし、選択できなかった。
この時代の日本に生まれた私は、大人になり、ある程度「どう生きるか」が決められた。
他の人の事は解らない。もしかしたら、自分の意志で生まれて来たという人もいるかもしれないな…。
「どう生きるか」を決められる時代と国に生まれただけでも奇跡的な事だ。
そう考えると、辛く悲しい過去など吹き飛ばして今を生きないと勿体ないよね。
今のところ「どう生きるか」は自分で決められる。
私がSTINGの【Englishman in New York 】という歌が好きなのは『誰がなんと言おうとも、自分らしく生きろ』と教えてくれるからなのです。
カフェカウンター横に歌詞を書いたのを貼ってあります。昔から勝手に張り紙しているの(ㆁωㆁ)
但し、自由とは責任を伴うものだという事は人間社会において忘れてはいけない事ですよね( ꈍᴗꈍ)